どんな子になって欲しいですか?
皆さんは、自分のお子さんをどういう子に育てたいですか?
「将来苦労しないように勉強してほしいから、落ち着きのある子に」
「いっぱい遊べる元気な子に」
「弱肉強食。とにかく強くなれ」
「女の子にはやさしく」
「人に迷惑をかけない子に」
などなど。
![眠る子ども](https://d-hoiku.com/wp-content/uploads/2017/03/子ども_1490542875.jpg)
子どもを思う親心…でも、各家庭ごとに様々ですね。
さて、これらは全て「間違い」とは言えない親の願いだと思います。
色々な考え方があれど、「間違い」とは言えないはずです。
では、こちらはどうでしょう。
「自分が損をしないように、何でも一番になれる子」
間違った教育って?
![ビー玉](https://d-hoiku.com/wp-content/uploads/2017/03/こども_1490587328.jpg)
「何でも一番になれる子」
ということは、別の角度から見てみれば
「人を蹴落としても這い上がれる子」
という見方ができます。
こう言われると
多くの方が、疑問を持つでしょう。
「他人を踏み台にするのってどうなんだろう」
「親の期待に押しつぶされてしまいそう」
なんて声が聞こえてきそうです。
さて、ではこの考え方は「間違い」なのでしょうか?
私ならこう答えます。
「いいえ。間違いではありません。」
保護者の意向に沿って、無理しているわけではありません。
心から「間違い」ではない、と断言します。
良識、常識について
![こども](https://d-hoiku.com/wp-content/uploads/2017/03/こども_1490587391.jpg)
少しスケールの大きな話をしますが、
多くの人は、家庭で育ちます。
その親もまた、家庭で。そのまた親も。
人生の基盤は、始まった時から多くの人はその一家庭です。
幼稚園でも、保育園でも、学校でもありません。
家庭は、当たり前ですが、子に対して親の願いや生き方が色濃く反映されます。
例えそれが、常識的に間違っていても。
ある人から見た非常識が、
ある家庭の常識である。
ということを、保育の仕事をしていなくても
皆さん多少なり経験されたことがあると思います。
皆さんが感じる常識は、他人の非常識かもしれません。
常識の範疇、とよく言いますが
そんなものは、あってないようなものなのです。
残念ながら。
と、ここまでスケールの大きな話になりましたが
要するに、
「自分が損をしないように、何でも一番になれる子」になって欲しい
という一見危うく見える考え方を「間違い」だと決めつけることができる人は、
一人も居ないということなのです。
「正しい」保育、教育のカタチ
![ハート](https://d-hoiku.com/wp-content/uploads/2017/03/ハート_1490587462.jpg)
いままでお話ししてきたことから、
じゃあ、「正しい」教育って?と聞かれれば
「そんなもんはない」
と答える他ありません。
でも、、でもね
私の個人的な願いとしてはやっぱり
「他人の気持ちを理解できる、優しい子」
に育って欲しかったりします。
「常識的」「良識的」「倫理的」に。
「要するに、犯罪しなきゃいいんでしょ!」
っていう乱暴な保育や子育てはしたくないし、
多くの保護者がそう願っていると私も思います。
じゃあ何故こんなに大袈裟な話を?
というところですが、
それは皆さんに考えて頂きたいことがあるからなのです。
※詳しくは、保育園のやり方は理想の楽園について詳しく書きました。